私の人生とショパン

今回は今までの人生を通して私に影響を及ぼしてきた芸術の話です。
テーマはショパンで、私がポーランドに留学していたということもありそれなりにありふれた話題に見えなくもありませんが、書くことはたくさんあるので今回思い切って記事にしてみようと思います。

ここで書くことはショパンに関連付けられた事柄のみなので、この記事に私の人生の記録としての意義はありません。

5歳前後

ショパンとの出会いです。初めてショパンを聴いた場所は親の車の中でした。両親はクラシック音楽を聴きませんが恐らく私のために音楽を用意してくれたのでしょう。レンタルしたらしき1枚のコンピレーションアルバムがずっと車の中で流れていました。実はこの時のことを少し覚えています。

子供ながら車のプレーヤーに表示されるトラック番号と曲の内容が頭に入っており、何番が好きかわかっていてひたすら音楽とプレーヤーの表示に集中していました。

そのアルバムに収録されていた全ての曲が好きでしたが、特にワルツ第一番(華麗なる大円舞曲)、ポロネーズ第六番(英雄ポロネーズ)、ノクターン第十四番、子守歌が好きだったように思います。

前後関係・因果関係はわかりませんが5歳の時にピアノを習い始めました。最近両親にその時のことについて尋ねましたがはっきりとは覚えていないらしく、母親は「車でショパンをかけたら聴き入ってたからピアノが好きなんだなと思った」と言っていました。

今回記事を書くにあたってインターネットで探したところ、膨大な数のコンピレーションアルバムの中からまさに家にあったものを見つけることができました。

実は帰省の際にまだそのCDが残っているか母親に聞いたところ、数か月後に偶然見つけて私が日本で一人暮らしをしている住所まで送ってくれたのです。

現在はショパンをコンピレーション作品で聴くことがほとんどなくなりましたが、曲目を見て実際に聴くことで昔の記憶が蘇りましたし、そのデータをもとにCDを特定することができました。

10歳頃

最初は電子ピアノでピアノの練習をしていたのですが、この頃両親がアップライトピアノを買い与えてくれました。いつの出来事か正確には覚えていませんが、10歳の時にアパートから一軒家に移ったのでこの時だろうと推測しています。

学校の部活動でスポーツをしていてかなり忙しかったと思うのですが、どうやらピアノと両立させていたようです。どうやってピアノの練習時間を作っていたのかは全く覚えていませんが、レッスンのある曜日には部活を早退して教室に通っていたことを覚えています。

11歳頃

子供の時には祖父が色々なものを買い与えてくれていたのですが、中でも最もよくねだったものは楽譜で、そのおかげでショパンの楽譜がどんどん増えていきました。

自分で演奏できなくても楽譜を追いながら実際の作品を聴くのが好きでした。ピアノ教室に通っていたので他の作曲家による作品を聴く機会も豊富にあったのですが、それにもかかわらずショパンへの情熱が加速するばかりでした。

この頃には学校用とは別に個人的に所有していた世界地図帳にワルシャワの市街図が載っていたので、それを眺めながら「ショパン博物館」の文字に目を輝かせていました。

人生で初めて外国の夢を見たのはこの時です。ワルシャワを観光してショパン博物館を訪問するのはこの時からの夢で、約10年後にそれは現実となります。

12歳

この頃は学校で好きな歌手を聞かれても答えられないほどショパンばかり聴いていました。その理由は自分でショパンのCDをレンタルして聴ける作品の数が増えたからです。

そのCDが「ショパン名曲100」。6枚組のセットで重要な楽曲は網羅されていました。1枚もののコンピレーションCDにはなかなか入らないバラード・ピアノソナタなどの長い曲に驚かされたのを覚えています。

中でもお気に入りはポロネーズ第七番(幻想ポロネーズ)、ピアノソナタ第三番などでした。

さらに、ポーランド人ピアニストPiotr Palecznyの「ショパン: バラード&即興曲集」。「名曲100」とどちらが先だったかわかりませんが、このCDはインターネットで母親に代理注文してもらいました。4曲のバラードはどれも大好きでかなり聴き込みました。

この年に初めてピアノ教室の発表会でショパンの楽曲を演奏したはずです。ノクターン第二番だったと思います。この曲は何年か前から弾いていましたが、この年になるまで発表会ではショパンを弾いていなかったと記憶しています。

13歳

この頃には家のデスクトップパソコンから時々インターネットを利用するようになっていて、閲覧するものはもっぱらショパンに関連する情報でした。色々なレビューや演奏動画を漁っていたのを覚えています。

そしてこの年になんと自費でショパンのCD30枚組全集ボックス「ショパン: 作品全集(Chopin Complete Works)」を購入しました。

全集がジャンル別に17CD、そして過去の名演が13CD分足されて計30枚ものCDが入ったボックスセット。かなりコンパクトなので収納にも困りません。

これを購入したおかげでショパンの作品のほぼ全てが聴けるようになりました。今でも重宝しています。

なおこのボックスに収録されていたチェロ・ソナタに衝撃を受け、それからこの作品が一番のお気に入りとなっています。ピアノ独奏作品でないためか知名度がそこまで高くないのをいつも残念に思っています。

夏にはノクターン第八番を発表会で演奏しました。

14歳

ショパン以外にロックミュージックも聴き始めましたが、ショパンへの情熱は変わらず。

この頃にポーランド語に興味を持ち始め簡易的な教本と辞典を買いましたが、この時は語学というもの自体に慣れておらず勉強の仕方がわからなかったのでポーランド語のアルファベットの読み方程度しか身に付きませんでした。実はこの時点でそれを覚えたことが後に役に立つのですが…

この年の夏にはポロネーズ第四番を発表会で演奏しました。

15歳

この年は発表会でノクターン第十三番を演奏する予定でしたが、普段の生活が忙しくピアノに手が回らなくなったためここで10年間通ったピアノのレッスンに別れを告げることになりました。

小学校時代に2度引っ越しをしていたこともあり、これまでに教えていただいた先生は全部で4人。残念ながら最初の先生(幼稚園時代)については何も覚えていませんが、残りの3人のことは今でも覚えています。

19歳

15歳の時に本格的にロックミュージックを開拓し始めたためショパンの作品を聴く機会は減っていました。しかしこの年に再び頻繁にショパンを聴き始め、この時に同じ作品を演奏者・録音によって聴き比べることを始めました。

大学で言語に携わっていたので、夏には実家から14歳の項で言及したポーランド語の教材を送ってもらいました。

夏には初めてポーランドのロックバンドのCDを購入しそれに衝撃を受けることになります。ショパンの作品は基本的に器楽曲なので聴くときにポーランド語がわかる必要はありませんが、このロックバンドのCDには歌詞があったので内容がとても気になりました。

そしてついにポーランド語の勉強への決意を固めます。つまり私がポーランド語を始めたきっかけはショパンではなくこのロックバンド(Abraxas)なのです。

20歳

半年程度ポーランド語を勉強したところで、ポーランド語がわかるようになったらポーランドに行ってみないともったいないという考えが生まれました。

そこで、人生初の海外旅行としてポーランドへの一人旅を計画しました。出発までのもう半年間でポーランド語を集中的に勉強してから満を持して旅立ち、ついに昔から憧れていたワルシャワに辿り着きました。

ポーランド語の勉強の過程でポーランドという国自体に大きな興味が出始めたのが旅行を決めた理由だったので、ショパンだけが旅行の目的ではなく、むしろ目的地がポーランドなので自動的に旅程に入るという形でした。

それでも到着からわずか2日目でショパン博物館を訪れ、4時間ほどじっくり見学しその日の晩にはワルシャワの旧市街で行われるショパンコンサートを鑑賞しました。

コンサート後はショパン行きつけのレストランとして有名なHonoratkaでショパンメニューを食べるという完璧なコースです。旅行の後半にはワルシャワ近郊のジェラゾヴァ・ヴォラ(Żelazowa Wola)にあるショパンの生家も訪れました。

現在

普段は主にメランコリックなロックやフォーク系の音楽を聴いていますが、ショパンは一番耳に優しく疲れている時でも聴けるので愛聴しています。パソコンでの作業中に聴くことが多いです。

ポーランド留学(ポーランド語留学)もしましたし、ショパンのようにピアノ曲を自分で作曲することも始め、自分の中でますますショパンとの繋がりが深まっているように思います。

最後に

ポーランドに音楽留学したわけでもなく、ショパンをモチベーションにしてポーランド語を覚えたわけでもない私ですが、人生の最も早い段階で出会ったショパンによって音楽に目覚め、そのショパンがこれまで常にあらゆる事柄を繋ぐ目に見えない鎖のような役割を果たしていました。ショパンを知らなければ今頃全く違う人生を送っているはずです。

そういう意味で、ショパンは私の人生において重要な人物なのです。

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