ポーランドのプログレッシブロックバンドAbraxasによるユニークな1stアルバム“Abraxas”(1996)のレビューです。
目次
Abraxasのアルバム”Abraxas”
※Abraxasのバイオグラフィはアーティスト紹介にまとめています。
1987年に結成されたAbraxas(アブラクサス)は、1996年になってようやくオリジナルアルバムをリリースすることに成功しました。
アルバムの先行EPとして“Kameleon”が発売され、”Kameleon”, “De Profundis”, “La Strada”の3曲がこれに収録されています。このうち”La Strada”は最初アルバムに収録されず、2000年のリマスター再発時にボーナストラックとして追加されました。
トラックリスト
- Before – 1:48
- Tarot – 8:32 ★★
- Dorian Gray – 5:59 ★
- Kameleon – 4:33
- Alhambra – 8:28 ★★
- Inferno – 5:15 ★
- Ajudah – 9:11 ★★
- De Profundis – 4:58 ★★
- Tabula Rasa – 11:17 ★★
- La Strada – 3:42 (再発盤ボーナストラック)
- Gdy Wydaje Niemożliwym Się Pamiętać – 7:19 (再発盤ボーナストラック) ★
各曲レビュー
Before
短いインストゥルメンタルです。アルバムの序曲といえるかもしれませんが、Abraxasの音楽性に似合わず全く暗くありません。
バンドのプログレッシブな面を強調した演奏で、7拍子、4拍子、6拍子、5拍子があらゆる方法で組み合わさり変化に富んだリズムの上で各楽器が見せ場を作っていきます。
元々Abraxasは演奏技術の高いバンドなのでこういう複雑なインストゥルメンタルも難なくこなしています。曲調もキャッチーです。
Tarot
Abraxasを代表する曲の一つ。長い導入部と本編からなります。貼っている動画は導入部なしの音源です。
導入部はタロットというタイトルから連想されるとおりの怪しい闇の世界。1曲目のBeforeから続けて聴くと突如空気が変わるのを感じます。ボーカルのAdam Łassa(アダム・ワスサ)の怪しげなセリフもこの危険な雰囲気を演出しています。
また、アルバムの仕掛けとして重要な部分なのですが、最終曲Tabula Rasaの一部がSEとして流れています。この部分にあたる歌詞はアルバムのサブタイトルとなっていて、重要な一節であることがわかります。
“…Cykl obraca się. Narodziny, dzieciństwo pełne duszy, uśmiechów niewinnych i zdrady.”
…サイクルは回る。誕生、魂と無垢な微笑みそして裏切りに満ちた子供時代。
– Adam Łassa
本編は2つのパートに分けることができます。前半は奇抜なロックです。まず聴き手の耳に留まるのはAdamのボーカルスタイルでしょう。唐突に声を裏返して素っ頓狂な声をあげる独特の歌唱法はシアトリカルであり狂気すら感じさせます。
パートごとにコロコロ変わる楽想も面白く、時にはコミカルにすら聞こえます。ここではキーボードのMarcin Błaszczyk(マルチン・ブワシュチク)とドラムのMarcin Mak(マルチン・マク)の優秀なフレージングが際立っています。Adamの早口ボーカルも面白いです。
後半はメロディアスで、前半ほど奇を衒った感じがないので聴きやすいと思います。暗くはないのにどこか憂いを帯びたような響きは一度聴いたら忘れられないもので、私もこの曲を初めて聴いた時にはこの後半が耳から離れなくなりました。その時聴いたのはライブ盤”Live in Memoriam”ですが、一度聴き終わって最も印象が良かったのがこの曲です。
挿入されるSzymon Brzeziński(シモン・ブジェジンスキ)のアコースティックギターのフレーズの繊細さや、バンド演奏のダイナミックさも楽曲を彩っています。後半は同じボーカルメロディの繰り返しでできていますが、この演出の仕方が優れています。上の動画で実際に聴けばわかると思いますが、「始まる→テンポが倍速になる→次に向けて大袈裟にタメを作る」というのを繰り返していて、まるで生で聴いているかのような臨場感を生み出しています。
私はもちろんTarotが大好きです。難解かつオカルト的で「この人の頭は大丈夫なのかな?」と思わせるような歌詞は正直言って理解不能ですが、その徹底したぶっ飛び方がそのままこの曲の魅力になっているのだと思っています。最後にアーティスト紹介記事でも紹介した、この曲の最後の一節を紹介します。
“Czy potrafisz zbawić mnie, by w obliczu Stwórcy gniew nie rozpalał jego warg?
Mam w Jego oczach zgodę na sen, mam w Jego dłoniach zgodę na śmierć.
A mój proch od zarania czeka.”
創造主を前にして、彼の唇が怒りで燃えることのないよう私を救うことがお前にはできるのか?
神の目は私に眠りを許してくれる、神の掌は私に死を許してくれる
私がいずれ塵になるということは天地創造の時より定められている
– Adam Łassa, “Tarot”
Dorian Gray
オスカー・ワイルドの小説「ドリアン・グレイの肖像」から着想を得たと思われる曲です。私にとってもオスカー・ワイルドは好きな作家の一人ですが、それは他でもなくこの曲を聴いて「ドリアン・グレイの肖像」を読んだのがきっかけです。他にも「獄中記」「サロメ」「幸福の王子(童話集)」「柘榴の家(童話集)」を読みました。
歌詞中に小説の内容への直接的な言及はあまり見られませんが、それはAdamが自分なりに物語を解釈してオリジナルの歌詞へと昇華した結果でしょう。
薄闇を思わせる曲で、最初から最後まで徹底的に暗い響きで統一されています。疾走するパートを除けばテンポは遅く、それがおどろおどろしさを強調しています。メロディが美しいので「ドリアン・グレイの肖像」の頽廃的かつ耽美的な世界とイメージが合致しているなと思いました。Abraxasの楽曲はメロディが優れているものばかりです。
怨念をまとったようなSzymonの重いディストーションギターの演奏は素晴らしく、同時に楽曲にメタル的要素を与えています。
実は”Live in Memoriam”のオープニング曲がこのDorian Grayなので、私がAbraxasのCDを買って最初に聴いたのがこの曲ということになります。イントロから鳥肌が立ったことをよく覚えています。ライブ音源の方が迫力もあって好きです。
“Jest w tobie jad, niegodny by żyć. Zatrute wino a portret we krwi.
I szukasz, szukasz zła. Przeklęty jak swój cień. A twoje imię Dorian Gray.”
お前は生きるに値しないような毒を持っている、毒を盛られたワイン、そして血に染まった肖像画
お前は悪を探し続け、自らの影のように呪われている、お前の名はドリアン・グレイ
– Adam Łassa, “Dorian Gray”
Kameleon
先行シングルになった曲です。他の楽曲のようなシリアスさはここにはなく、キャッチーなサウンドに乗せてカメレオンについて歌っています。
ふざけたような曲であまり深みを感じないためこのアルバムの中ではあまり好きではないのですが、それでもメロディが頭に染み付いてしまうところが恐ろしいです。またよく聴いてみると手の込んだ演奏をしていることにも気付かされます。
Abraxas流ポップソングという表現がふさわしいかもしれません。
“Między gąszczem dzikich traw, zapach tęczy, jego smak. Kameleon, hipnotyzer mój.
Maski, maski, tysiąc barw. Gdy nie wierzysz, on jest w snach. Lepki jęzor chwyta zdobycz w pół.”
野生の芝の茂みの間 虹の香り、あいつの味 カメレオン、僕の催眠術師
仮面、仮面、千の色彩 信じないなら夢に出る ねばねばの舌が獲物を真っ二つに捕らえる
– Adam Łassa, “Kameleon”
Alhambra
感動的な曲です。これは1993年に交通事故で亡くなったメンバーのRadek Kamińskiに捧げられています。アルハンブラはスペインにある宮殿の名前ですが、なぜタイトルに使われたかはわかりません。ワシントン・アーヴィングという作家による旅行記「アルハンブラ物語」も有名ですが、こちらの内容と関連している可能性もあります。
序奏はアコースティックギターとフルートによるもので、Live in Memoriamに収録された未発表曲Tomasz Fray Torquemadaにも同じものが使われています。それがなぜかは、AlhambraもTomasz Fray Torquemadaも追悼曲であるという点に着目すると見えてきます。
Tomasz Fray TorquemadaはAbraxasと交友のあったTomasz Beksiński(トマシュ・ベクシンスキ)という人物に捧げられた曲で、Alhambraの序奏がAbraxas独自の追悼テーマとして使われているのです。
楽曲は前半と後半に分かれていて、前半は7拍子、9拍子など変拍子を使ったプログレ的ファンタジー、後半は切ないメロディが胸を打つバラードです。
前半も素敵ですがこの曲の目玉はなんといっても後半のバラード部分です。後半について語る前に移行部の素晴らしさについても言及しなければいけません。キーボードのMarcin Błaszczykが奏でるフレーズと速いワルツのような3拍子のリズム、そして不思議なコード進行は、聴き手を非現実世界に連れていってしまうような魔力を持っています。それが唐突にSzymonのギターとMarcin Makのドラムによって破壊され、バラードがフェードインするのです。
そして後半では優れたメロディを生み出し続けるAbraxasの全作品中最も優れたメロディの一つが聴けます。ピアノとストリングスによる伴奏からロックサウンドに移行する演出が生むカタルシスも見逃せません。
Alhambraは私にとって非常に大事な曲です。この曲を一日最低一回は聴かないと我慢できないという時期があったことを今でも覚えています。そして今でもこの曲を聴くたびに心が浄化されるような感じを覚えます。優れた音楽であるだけでなく、人の心の大事な部分を占めるにふさわしいほどの力がこの曲には隠されているのです。
“Ludzkie serca w tajemnicy modlą się o marzenia, że stanie się cud.
Wiele bym dał, by cofnąć czas do dzieciństwa, raju błogich cnót.
Życie płynie, a Alhambra cicho tka…..”
人の心は密かに祈る、奇跡が起こるという夢が叶うように
子供時代という喜びにあふれた美徳の楽園まで時を巻き戻すためならたくさんのものを投げ出せる
人生は流れ、アルハンブラは静かに布を織っていく…
– Adam Łassa, “Alhambra”
Inferno
コンパクトながらも工夫が凝らされた曲です。Szymonのギターが自由に駆け回る速い7拍子のイントロで明るく始まり、翳りのある4拍子の中間部を経て再び7拍子に戻るという構成をとっています。インフェルノというタイトルは「地獄」を表しますが、着想元がダンテの叙事詩「神曲」のうちの一篇「地獄篇(Inferno)」である可能性もあります。
まず第一に、ドラムの手数の多さに驚かされます。そして後半のSzymonのギターの軽快な動きも注目すべきところで、Adamが歌っているにもかかわらずソロのようなものすごいフレーズを次々と繰り出してきます。これだけの演奏をオブリガートで済ましてしまうところにAbraxasの余裕が見えるような気がしました。
“Czasem widzę, jak w szczerozłotym blasku świec wszystko zmienia się, jak zabijam każdy dzień.
Nieśmiertelny sen, że Pielgrzymem staję się. Bez doczesnych win. Czas obudzić się.
Czasem słyszę, jak piekielne bicie serc niszczy umysł mój, jak zabijam każdy dzień.”
時々、蝋燭の純金の輝きの中で全てが変わっていくのが見える、僕が毎日を無駄にしているうちに
現世の罪を背負わずに巡礼者となるという永遠の夢 もう目覚める時だ
時々、ものすごい心臓の鼓動が僕の精神を壊していくのが聞こえる、僕が毎日を無駄にしているうちに
– Adam Łassa, “Inferno”
Ajudah
※動画は1998年のフランス公演のものです。
プログレッシブロック的展開を見せる曲で、テーマは母殺しの息子Ajudah(アユダフ)です。Ajudahはクリミア半島にある山と小さな半島の名前ですが、ポーランドでは国民的詩人Adam Mickiewicz(アダム・ミツキェヴィチ)のソネット(十四行詩)の一つとして知られます。
ミツキェヴィチの”Ajudah”もその土地の風景を描いたものなのですが、私はAdam Łassaがミツキェヴィチの詩を読んで間接的に着想を得たのだろうと推測しています。しかし、ミツキェヴィチの”Ajudah”とAbraxasの”Ajudah”が全く違う内容であることには注意が必要です。
楽曲は5拍子と9拍子を基本に構成されており、そこから来るリズムの不安定さと緊迫感が恐ろしいテーマによく合っています。Adamのボーカルは裏声を多用したシアトリカルなもので、この曲に宿る狂気を上手に表現しています。不協和音が多いのもこの曲の特徴です。演奏は非常に凝っていて感嘆させられます。
私はこのアルバムを初めて聴いた時にこの曲に最も大きな衝撃を受けました。ただただ圧倒され、真っ白になった頭でそれをなんとか飲み込もうとするしかありませんでした。
音楽的カタルシスはあるものの泣けるような感動をもたらしてくれる曲ではないので、Alhambraのようにこれを心のよりどころにすることはできません。それでも私にとってはこれが音楽的にAbraxasで最もお気に入りのものの一つです。
“Szeptem skrada się po schodach. Duma matki, jej Ajudah.
Ona już wie, że syn jak gwiazda, która spadatylko raz, zabije jeszcze dziś.
Ojcze nasz, któryś jest w niebie…”
階段からひっそりと忍び寄る 母の自慢の息子、アユダフ
彼女はもう知っている、たった一度だけ流れる星のように我が子が今日殺人を行うことを
天にまします我らの父よ…
– Adam Łassa, “Ajudah”
“Ojcze nasz, któryś jest w niebie”はキリスト教の祈祷文のうち最も知られている「主の祈り」の冒頭文です。キリスト教徒のほとんどが暗記しているはずです。
De Profundis
※動画は1997年に元MarillionのFishの前座を務めた時のものです。
非常に内省的で美しい曲です。アコースティックな音が多用されていて、Adamの祈るような歌唱と共に神聖な雰囲気を醸し出しています。徐々にロックサウンドになっていき、それと共に微かな光が射すように響きが変化していくところに注意するとこの曲をよりよく味わえると思います。
派手さはありませんが独特の美しさを持った曲で、私のお気に入りの一つです。De Profundisはラテン語で「絶望の底からの叫び」を意味しますが、Dorian Grayと同様にオスカー・ワイルドの作品「獄中記」からとられたタイトルかもしれません。私はそれを確かめるために「獄中記」を読んだのですが、歌詞の内容との関連性はあまり見られませんでした。
“Zniknie czas, tylko łza na lubieżnej szacie zła skryje litość twarzy mej
Jestem sam jak skazaniec. Krzyż przygniata serce me.
Czuję pustkę, objawiony trzeci tren.”
時は消え去り、私の顔から憐れみを隠すのは悪の淫らな布に染みた涙のみ
私は死刑囚のように独り、十字架が心を押し潰す
空っぽの心、現れた第三の挽歌
– Adam Łassa, “De Profundis”
Tabula Rasa
これまでの8曲を聴いているうちに深みに沈んでいった聴き手を引き戻すようなイントロは、最後の曲であるという知らせのようにも、またここまで我慢強く聴いたリスナーへの労いのようにも響きます。といっても、実はこの曲がアルバム中で最も長いのです。
最初は7拍子のポジティブな響きで進行していきますが、その割に歌詞は過激です。まだここまでの闇を引きずっているようなイメージでしょうか。
やがてSzymonのヘヴィなギターリフやMarcin Błaszczykのキーボードソロが曲のもっと深い部分にリスナーを導いていきます。ここからが本番です。
ここから様々な展開が待っています。ここで全てを説明するよりも上に貼った動画を確認した方が良いです。中でも驚きの展開はSzymonとMarcin Błaszczykが二人でアコースティックギターとフルートの合奏をする部分でしょうか。
この長いトンネルのような中間部を抜け出す合図がアルバムのサブタイトルであり2曲目のTarotの序奏でも流れたフレーズです。
“…Cykl obraca się.
Narodziny, dzieciństwo pełne duszy, uśmiechów niewinnych i zdrady.
Dorosłość usłana sumieniem. Starość jak hańba.
A na łożu śmierci – śmierć!!!”
…サイクルは回る
誕生、魂と無垢な微笑みそして裏切りに満ちた子供時代
良心に覆われた青年時代、恥のような老年時代
そして死の床にあるのは ― 死!
– Adam Łassa, “Tabula Rasa”
トンネルを抜けると短いギターソロが始まり、ここからはカタルシスの波が待っています。タフなアルバム、タフな楽曲ですが、それに見返りをくれるようなエンディングです。
なお、Tabula Rasaはラテン語で「白紙状態」を意味します。
La Strada
ここからはボーナストラック2曲の紹介です。
1曲目のLa Stradaはギターが躍る7拍子のキャッチーな楽曲。アルバムに先行して発売されたEP”Kameleon”に収録されていました。
短くてスピード感もあるので聴きやすいのですが、歌詞の内容を見ると少し下品な求愛の歌であることがわかります。
Gdy Wydaje Niemożliwym Się Pamiętać
※動画の音源は1992年のもので、CDに収録されているバージョンとは大きく異なっています。
2曲目はAbraxasの最も古いレパートリーのうちの一つで、主人公の精神的内面を詳細に描写した哲学的かつ難解な歌詞が魅力的です。
音楽的には落ち着いたサウンドがメインで、それが楽曲の内向性を象徴しています。派手ではありませんが頭に残るような響きを持った楽曲で、私は好きです。
まとめ
様々なスタイルの楽曲が詰め込まれたこの1stアルバムは聴くのに少しばかりのエネルギーを要します。しかし聴けば聴くほど面白くなってくるアルバムで、聴き手をだんだん飽きさせるような個性のない作品とは正反対です。
Abraxasは若さを迸らせながらも時々成熟した部分を見せています。バンドが長い間デビューまで漕ぎつけられなかったということで作曲されてから時間が経っている曲も多いので、その分自信を持って各楽曲を送り出したんだろうなという印象も受けました。奇抜な音楽性ですが、それは単なる装飾ではないと聴き手に思い込ませるだけの説得力があると思います。
Tarot, Dorian Gray, Alhambra, Ajudah, Tabula RasaなどはそのままAbraxasの代表曲にもなっていて、最初から高いレベルを備えてデビューしたことがこの事実からも、そしてアルバム発売後の成功からもわかります。
私は3枚のスタジオアルバム全てが大好きですが、このアルバムを聴くと青空に枯葉が舞うジャケット絵のような不思議なノスタルジーを感じ、Abraxasというバンドの「子供時代」(Alhambraの歌詞抜粋部分参照)に思いを馳せてしまいます。
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