YouTubeで自分の好きな音楽の動画に低評価をつけた人をディスるコメントについての私の意見を紹介します。
はじめに
私はYouTubeで音楽を聴くのが好きです。
気に入った音楽は購入するので、もちろん自分のライブラリに入っています(Spotifyを始めてから変わってきてはいますが。)
それでも、ミュージックビデオと一緒に楽しんだり、まだ聴いたことのないものを探したり、感性の合う友達と相手が気に入りそうなものを互いに教え合ったり、さらには自分で所有していてもその音楽を聴いて他の人が何を思っているのかを知るためにコメント欄を読んだり…
楽しみ方は様々ですが、いずれにしてもYouTubeは便利です。
よく見るあのコメント
理解できる言語の数が多いというのもあって、私はYouTubeに投稿された音楽の動画のコメント欄を頻繁に読みます。作品を聴いて人々が何を感じているのかに興味があるからで、レビューのような感覚で読んでいます。
作品に好意的なコメントは頻繁に見ることができますが、その中でいつも引っかかる書き方があります。
「誰が低評価押したの?」
「低評価が○○個もつくなんてありえない!」
「センスのない人が○○人(低評価の数)いるな」
「この音楽にこれだけ低評価がつくなんてこの世界は終わってる!」
もちろん色々な言語や表現で書かれていますが、このような「低評価」に言及するコメント全般です。
コメントに隠された意識
こういったコメントからは、それを書いた人がその音楽を本当に気に入っていることが伝わってきます。作品に対する愛の表現としては最上級と言えるでしょう。
しかしこれを違う側面から見てみると、ある疑問が浮かんできます。音楽を聴いて印象のままに低評価を押してはいけないのでしょうか。
残念ながら、本人はコメントでその音楽への愛を言葉にしただけのつもりなのに、同時にその表現方法からその人は自分と違う受け止め方を許容できないということが伝わってきます。
なぜこの話題を記事にしたかについて書かなければいけません。こういうコメントはみっともないから書くな、と言うのが目的ではないことも言っておかなければいけません。ではなぜかというと、私が「ミュージカル・ハラスメント」(造語です)を頻繁に受けてきたからです。
私の経験
私は、大学で音楽サークルに所属していたことがあります。どこでも同じような現象があると推測しているのですが、メンバーのほとんどが知っている「公認アーティスト」がありました。
しかしその中に私自身が聴いて何かを感じるものは少なかったので、それを無理して自主的に聴き始めることはしませんでした。
実際にこのサークルを通じて得た好きな音楽との出会いもありますが、それは指で数えるほどで、その期間に自分で見つけたものを含めて考えるとほんの一部でしかありません。私は非常に多くの時間を発掘に費やしていたので当然のことではありますが。
一方、私が普段好んで聴くものは自分の好みを知った上でかなり探さないと見つからないようなものがほとんどです。好きなものの中からその相手が知っているであろうものを故意に挙げるということをしない限り、私の好きな音楽の話題は成立しませんでした。
他にサークル内で頻繁に話題に上っていたマンガ・アニメ・映画などにも興味がないため特定のテーマで盛り上がることはなく、そこにいた理由は単純に音楽に触れていたかったから、そしてサークルのジャンルに関係なく大切な友達がいたからです。後にサークルをやめることにしました。
ここで過ごした時間の中でよく言われた言葉が記憶に残っています。
「もっと有名なものを聴いた方がいいよ」というものでした。
私にはこの言葉が理解できません。有名・有名でないに関わらず単に自分の感性が反応する音楽を探してそれを聴いているだけなのに、それを否定することに意味はあるのでしょうか。
しかも趣味の文脈でです。個人が娯楽として何を選ぶかについて他人が口出しすることに正当性はあるのでしょうか。
それだけでなく、私が普段聴いている音楽を実際に聴いたことがない人たちにこういうことを言われるのでした。
なお、現在では互いに自分の好きな音楽を語って分かり合える相手が一人ですが存在します。私が何を聴いているかを踏まえて考えると奇跡のようですが、おかげで私の音楽人生は救われました。
結論
私の結論を簡単に述べましょう。
誰が何を好きなのかについて口出しすると、ファン同士で不幸を生んでしまいます。しかし、自主的に感性に合う音楽を探すのは良いことです。
私がブログという道を選んだ理由
実は当時、自分が好きなものをサークルのメンバーや大学の友達に知ってもらおうという気持ちもあまり持っていませんでした。自分がいくら好きでもその相手がそれを気に入らなければ薦める意味がないからです。
音楽が好きなんだったら何かおすすめ教えてよ、と言われて何かを紹介することはありますが、全然面白くないという感想をもらってもそうなんだ、としか思いません。
このように控えめに振舞っている一方で、自分のお気に入りの音楽から得た感想やそれへの愛を文章にすることには興味がありました。
知り合いと積極的に音楽の話をするということをせずにこのブログでレビューという形で音楽を紹介しているのも、最初からそれを求めて来てくれているの人の目にのみ触れるのが最も謙虚な、自分の信念に合ったやり方だと考えているからです。
Twitterでブログ更新のお知らせを流してはいますが興味のない人は記事を開かなければ読まなくて済むので、それで良いと思っています。