Ananke: “Malachity” アルバムレビュー

ポーランドの神秘系プログレッシブロックバンドAnankeのアルバム“Malachity”(2010)のレビューです。私がこれでもかというほど聴き込んだアルバムです。

Anankeのアルバム”Malachity”

Ananke(アナンケ)はポーランドのロックバンドです。

ポーランドのプログレッシブロックの代表格として90年代後半に活躍したバンドAbraxasのボーカルであるAdam Łassa(アダム・ワスサ)と、バンド創設メンバーでありながらデビュー前に脱退していたキーボードのKrzysztof Pacholski(クシシュトフ・パホルスキ)によって2009年に結成されました。このバンドでは作曲をKrzysztofが、作詞をAdamが行っています。

Abraxasでイニシアチブを握っていたSzymon Brzeziński(シモン・ブジェジンスキ)というギタリストも才能のある人でしたが、彼はメタル的な味付けを好んだためAbraxasの音楽はどちらかと言えば激しく力強い面を含んだものになっていました。

一方でAnankeにはSzymonが参加しておらず、AdamとKrzysztofによる共同の創作活動がバンドの特色であるためにAbraxasよりもかなり穏やかな音が中心になっており、その分Adamの趣味と思われるミステリアスさが増しています。

Anankeは2枚のアルバム(この2010年発表”Malachity”の後に2012年2ndアルバム”Shangri-la”を発表)を発表した後2013年に1枚のシングルを出し、そして2015年に”Linea Negra”という楽曲を配布していますが、残念ながらその後は動きがありません。

トラックリスト

1. Wstyd – 4:48
2. Amidalla – 3:23 ★★
3. Mayday – 3:28
4. Perfumy – 5:37 ★★
5. Prana – 3:40
6. Asyż – 7:45
7. Akasha – 4:39 ★★
8. Latawce – 4:24
9. Talisman – 5:03
10. Mojra – 6:52 ★★

各曲レビュー

Wstyd (フスティト)

数少ないアップテンポの曲で、歌詞の量も多めです。少しだけメタル的なテイストも感じられますが、音にそれほど重い印象はありません。

イントロともとれる不思議な揺れのある電子サウンドによって導入される静かなボーカルパートは、ポーランド語の音楽に慣れないリスナーには新鮮でしょう。

同時にボーカルのAdam Łassaのクセのある声質が早くも気になってくるかもしれません。彼はAbraxasの時よりも落ち着いた歌い方になっていますが、それでもこの声はいつも通りです。

すぐに楽曲はリズムに乗り始め、徐々に盛り上がりながらサビへ。ここでのギターはそこまで激しくないながらも攻撃的で、キーボードの音がミステリアスな空気で隙間を満たしています。

誰にでも受ける音作りではありませんが、私にとっては好みの音です。なお、盛り上がる楽器パートとあまり山のないボーカルパートのコントラストも興味深く思えました。

楽曲構成はむしろ単純でいくつかのテーマを繰り返すだけですが、毎回楽器パートに色々な細工が加えられておりこの曲の音が気に入ったリスナーなら退屈することなく楽しめるはずです。

私もその一人なのですが、あまりにもこのアルバムを聴きすぎたため少し平板な印象があることも否定できません。

Amidalla (アミダラ)

ミュージックビデオです。

美しいバラードです。単純にメロディと楽器の響きが美しく、哀愁漂う世界に陶酔することができるはずです。

控えめながらもしっかり聞こえてくるピアノの音は心を落ち着かせてくれ、時にはクリーンな、時には歪んだギターは決して雰囲気を邪魔することなくすっと耳に入ってきます。サビのシンプルながらも綺麗なメロディは必ず記憶に残ることでしょう。

Ananke以降のAdam Łassa関連作品の特徴でもあるのですが、ボーカルは多重録音によって時に厚い層となっています。極めつけには同じメロディに2つのボーカルを重ねるなどの工夫が凝らされていて、これにより彼の作品独特の雰囲気が生み出されています。

この手法はAdam Łassaのソロ作品であるAssalのアルバム”Ciało i Duch”で存分に楽しむことができます。

個人的に気に入っている部分がギターソロです。エフェクトを大胆にかけて涙ににじんだような響きを持たせているのが魅力的で、この部分を聴くだけでこの曲のメランコリーの世界に引き込まれてしまいます。基本的に気付かないポイントではありますが、歌詞も素敵です。

色々と書きましたが、一番良いのは深く考えず感覚だけを研ぎ澄ませてこの曲の音の世界に浸ることだと思います。

Mayday (メイデイ)

ミュージックビデオです。

“Amidalla”に続いてこの曲もかなり穏やかです。この曲でもサウンドの中心はピアノと清濁二種類のギターですが、印象はかなり違います。

サビ以外は不協和音寸前の響きが使われたり軽くも少し角の立ったギターが鳴っていたりと美しさを保ちながら神秘的な雰囲気を漂わせていますが、一旦サビに入ると甘い響きだけが残ります。

ボーカルのテンションはかなり落ち着いており、この声が苦手でさえなければまるで子守歌のようにも聞こえてきます。最初はこの曲から受ける印象が他の曲に比べて薄めだったのですが、だんだんとこの曲が与える安心感を感じられるようになりお気に入りとなっていきました。

典型的と言っても良いですが曲が進むにつれてコーラスが豊かになっていき、最後にはかなり豪華に使われています。

Anankeの曲はサウンド面での盛り上がりという意味では起伏が乏しいので、それを補う要素としてコーラスはうまく機能していますし、少なくとも私は聴いていて心地良く感じるのでAnankeの魅力の一つと言えるでしょう。

Perfumy (ペルフムィ)

お気に入りの曲が多いこのアルバムでも特に好きなのがこの”Perfumy”です。薄闇を連想させるような雰囲気に支配された曲で一見刺激はほとんどないのですが、注意深く一つ一つの音や表現を拾ってみるとこの上なく美しく構成された曲であることがわかってきます。

この曲の肝はむしろ音作りだと思っているのですが、少しボーカルパートに目を向けてみましょう。眠気を誘うようなAdamの独特な声によるボーカルがリスナーの耳を包み込んでいます。特に最初の低音に徹した歌唱ではAdamの声が最大限に活きていると感じました。彼の普段の話し声から感じられるような低く心地よい振動が伝わってくるからです。

曲全体を俯瞰したときに気付くこととして使用されているボーカルメロディの種類はかなり少なく、曲の構成も繰り返しといえば繰り返しです。しかし実際には曲は常に不可逆的に進んでおり、繰り返しにも重要な意味が含まれているのです。

この曲のハイライトはボーカルが消えてから1分半にも及ぶエンディングとなる繰り返し部分です。ずっと同じピアノのフレーズが奏でられる中シンセによる魔術的な演奏が延々と繰り広げられ、リスナーを向こうの世界へと連れていくのです。

ここまでくるとピアノの繰り返しフレーズすら催眠術のように感じられ、私の場合は外の世界に注意を向けることすらままならなくなり、異世界へ繋がるトンネルが見えてきます。暗闇の中を散歩するときにイヤホンで聴きたい曲です。

Prana (プラナ)

繊細な印象に満ちた深い湖から一度抜け出して一息つかせてくれるような、少しわかりやすくて単純な曲です。それでいて薄っぺらくなることはなく、普段のクオリティが保たれています。アップテンポの曲は1曲目の”Wstyd”とこの”Prana”だけです。

曲中で何度も聴くことができるサビは少し異色で、響きは明るくも暗くもなくひたすらクールです。なおサビ以外のボーカルパートより音域が低くなるという珍しいケースでもあり、それがクールという印象を助けているのかもしれません。

この曲で特徴的なのがシンセの音色で、この音はまるで異国の撥弦楽器のようです。このシンセによるソロパートもあるので注目です。

Asyż (アスィシュ)

アルバム中最長の収録時間を誇る気合の入った作品。もちろん傑作です。サウンドは壮大で紛れもないシンフォニックロックと呼べるでしょう。

明るい印象の曲がほとんどないAnankeの楽曲の中でも一際不気味な響きで始まります。またも耳にこびりつくような、ダークさとキャッチーさが絶妙に融合したサビのボーカルメロディが現れ、これを核としながらも大胆に曲が展開されていきます。

なお印象的なベースのリフが曲の中心となる作りは2ndアルバムの名曲”Lustra”のようでもあります。

後半へ向かうにつれて音もそれに込められた感情も高まりを見せていき、全ての音がベースに導かれていく長いインスト部ではAdamのセリフや多重録音された不気味な叫び声などが分厚く昇っていくシンセと重なっていきます。歯切れの良い音と長い音符を上手に組み合わせたギターの演奏もポイントです。

クライマックスは最後の1分に凝縮されており、中盤でも現れたサビを受けるギターソロは最終的には不安定に荒ぶり、これでもかというほど聴き手の神経に訴えかけてきます。そして曲は最後まで8分近くという長さを全く感じさせることなく余韻を残して消えていきます。

Akasha (アカシャ)

メランコリーの頂点のような曲で、私がこのアルバムの中で最も気に入っているものの一つです。5分に満たない曲の中に無限の細かな感情が宿っています。

どんな音楽も同じですが、この曲を言葉で表現しきることは絶対に不可能なのでこの魅力が伝わるためには実際に音に触れるしかありません。

この時点で興味を持たれた方には動画を探していただくとして、ここではできるだけこの音楽を言葉で描写できるように頑張ってみようと思います。

冒頭から悲しみに満ちていて、静かな演奏に乗せた独り言のようなボーカルがまずリスナーの心をつかんできます。

しかし中でも最も感情がこもっているのは音量が上がるサビの部分で、ボーカルの音符はシンプルですが実際の響きは痛ましいまでに豊かな感情を含んでいて、これには圧倒されること間違いなしです。

波打ちながら夢の世界へ誘うようなエレキギターの音、あまりにも繊細で哀しげなメロディ、どの部分をつまんでもそこから空間いっぱいに憂愁が溢れてきます。

なお6/8拍子というリズムも曲全体が揺れるような効果を生み出しており、この曲自体が入ったら最後抜け出せなくなる音の揺り籠のようです。

この曲の響きに関しては純粋な魔法と言い表すしかありません。

Latawce (ラタフツェ)

疑う余地もなく最も穏やかで平和な曲です。海辺の情景が詞の舞台となっており、暖かな夏の日に優しい日光を浴びながら浜辺で微睡んでいるような気分にさせてくれます。

ピアノの音と力の抜けたボーカル、そして普段のAnankeとは違うドラムとベースのリズムが心を落ち着かせてくれ、少しの間普段の忙しい生活のことを忘れてバカンスに来ているような感覚が味わえます。

驚くほどに棘も何もない楽曲ですがこれはこれで素晴らしく、特に中盤ほとんどの音が一度消えて違う表情を見せ、再び穏やかなインストが波のように静かに広がっていく部分は素敵だと思いました。

Talisman (タリズマン)

7拍子をベースに奏でられる非常にミステリアスな楽曲です。ヴァース部分ではシンセによる不思議な音が常に鳴っており、ここから神秘的な空気が感じられます。

Anankeの楽曲はスピリチュアル的な趣味のテーマが多くその事実が音楽の雰囲気にも反映されているのですが、この曲もtalisman – 「護符」というタイトルからわかる通り例に漏れず神秘系です。

それぞれの旋律はなかなか記憶に残りにくいかもしれませんが、サビを締める天へと舞い上がっていくようなボーカル、そしてそれに続くギターフレーズはこの曲を印象付ける重要な要素となっているように思えます。

ミステリアスな楽曲といっても難解ということはなく、聴いているうちに慣れるはずです。私にとってはアルバム中で理解するのに少し時間がかかった曲の一つですが。

中盤を過ぎたあたりでは動きが出始め意外と盛り上がっていますが、基本的には普段と同じように空気作り重視の曲といえます。聴きどころは何といっても静かなヴァース部分、またはサビだと思います。

Mojra (モイラ)

これまでも自身のお気に入りの楽曲に言及してきましたが、恐らくその中でも一番なのがこの終曲”Mojra”です。

この楽曲はアルバム中最も神秘的であり、不思議な力を感じます。短く形容するなら濃霧のような曲です。遅い9拍子という珍しいリズムを持ったユニークな楽曲でもあります。

まさしく霧が発生する様を描いたように響く導入音に続いてドラムだけが流れ始め、甘いギターの音色と共に現れる、遠くから語りかけてくるようなAdamのボーカル。

起承転結の流れが薄く、どこへ向かっているのかはっきりせずただ宙を漂うかのような浮遊感のある旋律です。これは曲中で繰り返されるテーマですがサビなのかどうかすらはっきりせず、むしろそういった区分など元々存在しないかのようです。

霧のように楽曲を覆うシンセは曲中でほぼずっと鳴り響きます。

時間の流れを忘れさせるほどにゆったりとした笛のような楽器による間奏に続くのは、二つ目のボーカルパート(といってもボーカルパートは2種類しかありません)。今にも消えてしまいそうなほどに弱く静かで、それでいて深い響きのある歌声はAdamにしか出せないでしょう。

ライブでの安定感などを考慮すると歌唱力そのものを褒めることはできませんが、少なくともAdamは天性の歌声に恵まれているように思います。随所に囁き声による歌唱がオーバーダビングによって加えられていて、この仕掛けがまた不思議な響きを強調しています。

曲の至る所で前面に出てきては退いていくギターやピアノの振る舞いが半分夢を見ているときの感覚に近く、現実の存在が徐々に薄くなっていくのが感じられるはずです。

メインテーマと思われる方のパートはコーラスや他の楽器による装飾によってだんだん豊かな響きになっていき、ゆっくりと、しかし着実に後半に向けて曲を前に進めていきます。

曲が後半に突入し、まるで憑りつかれたようにいつもより多くメインテーマが繰り返されたところでこれから何かが起こる、という予感が沸いてきます。

繰り返しの一番最後の回に入るとついにはギターもベースも消え、不気味なほどに厚く不協和音的なコーラスを従えて最初のテーマが繰り返されます。

歌の終わりと同時に一旦音が止まり、ここで楽曲が表情の変化を見せます。強烈なディストーションがかけられたギターが何度か水面の大きな波紋のように響き、これまで保たれていた調和が突如崩壊するのです。

この混沌とした演奏が何を表しているのかはわかりませんが、何か抗えない力を感じる部分です。その混沌の中から抜け出したギターがソロのような形で謎の旋律を奏でると再び演奏はずっと9拍子を保っていたドラムのみの状態に戻り、いささか中途半端にも聞こえるような形でこれといったサインもなくリズムを刻むのを止めてしまいます。

まとめ

今回紹介したアルバムですが、ここでは全てがある種の空気によって統一されています。音楽にノリを求めるリスナーにとっては間違いなく退屈になるので決しておすすめできません。

しかし、音に込められた細かなニュアンスをじっくり聴いて拾い上げ、それに自分の想像力を乗せて楽しむタイプのリスナーにはかなりのインスピレーションを与えてくれるアルバムだと思います。私自身がそういう音楽の聴き方をしているので、お気に入りアルバムとして紹介しました。

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