ポーランド語歴史文法: ゼロ語尾の秘密

ポーランド語などのスラヴ諸語にはゼロ語尾というものがあります。今回は「実はこれは元々ゼロ語尾ではなかった!」ということを説明します。

なお、この記事ではポーランド語を例に説明します。

ゼロ語尾とは

まずは、ゼロ語尾が何のことかわからない方のためにこの用語について簡単な説明をします。

ポーランド語の名詞には語幹語尾があります。語幹は格変化をしても変わらない部分で、語尾は格変化によって変わる部分です。教材には-a, -uなどの形で書かれているはずです。語幹がかなりの数存在するのに対して、語尾の数は限られています。

例えば、kot(猫)という単語であれば

単数主格  kot
単数生格  kot-a
単数与格  kot-u
単数対格  kot-a
単数造格  kot-em
単数前置格 koć-e
単数呼格  koć-e

複数主格  kot-y
複数生格  kot-ów
複数与格  kot-om
複数対格  kot-y
複数造格  kot-ami
複数前置格 kot-ach
複数呼格  kot-y

赤字部分が語尾です。単数前置格と呼格で語幹がkotとは違う形になっていますが、これは子音交替(t : ć)によるもので実質同語幹とみなします。

ゼロ語尾とは、語幹の後に何もない場合の見えない語尾(つまり語尾の値がゼロ)のことで、これ自体が語尾の一種です。男性名詞はほとんどが子音で終わるのでそれらは全て単数主格がゼロ語尾といえます。

しかしゼロ語尾が出現するのは男性名詞の単数主格だけではありません。

例えば、noga(脚)という単語であれば

単数主格  nog-a
単数生格  nog-i
単数与格  nodz-e
単数対格  nog-ę
単数造格  nog-ą
単数前置格 nodz-e
単数呼格  nog-o

複数主格  nog-i
複数生格  nóg
複数与格  nog-om
複数対格  nog-i
複数造格  nog-ami
複数前置格 nog-ach
複数呼格  nog-i

またしても語幹がnog-でない格がありますが、これも子音交替(g : dz)と母音交替(o : ó)によるものなので同語幹とみなします。

ここでは複数生格でゼロ語尾が現れています。このように女性名詞の複数生格、また他にも中性名詞の複数生格でゼロ語尾が現れることが頻繁にあります。ゼロ語尾は、-∅と表記します。

ゼロ語尾のルーツ

現在ゼロ語尾は空白でそこからついた名前がゼロ語尾でもありますが、かつてはここに何かが入っていました。

その正体は

ъ または ь です。

このブログで何度も出てきましたが、これはスラヴ祖語時代の母音イェル。一つ目が後舌、二つ目が前舌のイェルと呼ばれます。とても短く発音される目立たない存在でしたが、現在ゼロ語尾の形の語尾にはかつてこれが立っていました。

例えば、

kot(単数主格)はかつて*kot-ъ
nóg(複数生格)はかつて*nog-ъ

という形をとっていたのです。

ьが語尾の例は軟子音で終わる名詞・機能的軟子音で終わる名詞の大部分・格変化すると軟音が現れる硬子音終わりの名詞(gołąb)などです。

dzień < *dьn-ь
mąż < *mǫž-ь
gołąb < *golǫb-ь

ここでゼロ語尾の種明かしは終わりです。

 

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