ポーランド語を学習していると出会う「機能的軟子音」という謎の用語。これを解説します。
目次
機能的軟子音とは
ポーランド語の教科書を開くと必ず複雑な変化表に出くわします。
「ポーランド語の子音は硬子音と軟子音、そして機能的軟子音という3種類に分類され、子音がどのグループに属するかによって変化が異なります」というようなことが書いてあると思います。
言語を専門にしていないポーランド語学習者であれば硬子音と軟子音の区別さえピンとこないのは当たり前です。私もポーランド語を始めた当時は何のことだかさっぱりわかりませんでした。
それなのに、追い討ちをかけるように機能的軟子音という不思議な用語まで登場します。しかも、ほとんどの教科書では「機能的軟子音」という名前だけが使われていて、これが何を意味するのかは十分に説明されていません。
教科書を書いているのは専門家なので、学習者への配慮が足りない場合があるのはある意味仕方ないことです。これはその例ではないかなと思います。
機能的軟子音の一覧
とりあえず、ポーランド語の子音のうち機能的軟子音がどれなのかを確認してみましょう。
c
dz
sz
ż
cz
dż
rz
l
この8つが機能的軟子音です。
機能的軟子音は「歴史的軟子音」
機能的軟子音(ポーランド語でspółgłoski funkcjonalnie miękkie)は歴史的軟子音(spółgłoski historycznie miękkie)とも呼ばれます。つまり、子音のうち現在の発音では硬子音であるもののかつて軟子音であったものを指します。
ポーランド語を習得するために勉強するだけなら丸暗記ですが、この記事ではこれらの子音の歴史を紹介します。昔は軟子音だったというのを理解していただくためです。
機能的軟子音の歴史
それぞれの機能的軟子音は異なる変化を経ているので、全てまとめて説明することはできません。というわけで上から順番に見ていきます。
c/dz
cとdzは調音位置・方法が同じで有声音か無声音かという点のみが異なるペアなので、まとめて扱います。
これらの子音の元になったのは
1. スラヴ祖語の*k/*g
2. スラヴ祖語の*tj/*dj
です。
1つ目のケースでは、元々あった*k/*gが第二次口蓋化あるいは第三次口蓋化によって軟子音c’/dz’に変化し、その後硬子音c/dzとなりました。例としては、
第二次口蓋化
*muxьkě > muszce (muszka: 「蠅」の単数与格または前置格)
*dorgě > drodze (droga: 「道」の単数与格または前置格)
※どちらのケースにおいても前舌母音ヤチ(*ě)が後にくることで*kと*gが口蓋化しています。
*pěnęgъ > pieniądz (お金)
などが挙げられます。前舌のイェル(*ь)、*ęなどが前にくることによって*kや*gが口蓋化しているケースで、これが第三次口蓋化です。
2つ目のケースでは、*tj/*djがjによる口蓋化によって軟子音c’/dz’に変化し、その後硬子音c/dzとなりました。例としては、
*světja > świeca (蝋燭)
*vědja > wiedza (知識)
などが挙げられます。
どちらにしても、いきなり硬子音のc/dzが生まれたわけではありません。というのも、口蓋化自体が軟子音を生み出す現象だからです。
*k/*gまたは*tj/*djからまずは軟子音c’/dz’に変化し、その後16世紀までに非口蓋化によって硬子音c/dzに変化します。軟子音の時代があったために、現在は機能的軟子音(歴史的軟子音)として扱われているのです。
sz/ż
szとżも無声・有声のペアです。żと同じ音を表すrzという子音もありますがこの2つは歴史音韻論上別物なので、ここでするのはżの話ということを覚えておいてください。
これらの子音の元になったのは
1. スラヴ祖語の*x/*g
2. スラヴ祖語の*xj/*gj
3. スラヴ祖語の*sj/*zj
4. スラヴ祖語の*stj/*zdj
5. スラヴ祖語の*skj/*zgj
1つ目のケースでは、元々あった*x/*gが第一次口蓋化によって軟子音š’/ž’に変化し、その後硬子音š/ž(ポーランド語の正書法ではsz/ż)となりました。例としては、
*muxьka > muszka (蠅)
*dorgьka > dróżka (道)
などが挙げられます。第一次口蓋化は*k, *g, *xの後に前舌母音がくることで起こった変化です。
2つ目のケースでは、*xj/*gjがjによる口蓋化で軟子音š’/ž’に変化し、その後硬子音š/ž(ポーランド語の正書法ではsz/ż)となりました。例としては、
*gjaba > żaba (蛙)
などが挙げられます。
3つ目のケースでは、*sj/*zjがjによる口蓋化で軟子音š’/ž’に変化し、その後硬子音š/ž(ポーランド語の正書法ではsz/ż)となりました。例としては、
*pisjǫ > piszę (私は書く)
*pokazjǫ > pokażę (私は見せる)
などが挙げられます。
4つ目のケースでは、*stj/*zdjがjによる口蓋化で軟子音群š’č’/ž’dž’に変化し、その後硬子音群šč/ždž(ポーランド語の正書法ではszcz/żdż)となりました。(džは単独の子音で、IPA(国際音声記号)ではɖです。ブログでは文字が足りないので便宜上このように表しています。)例としては、
*pustja > puszcza (原生林)
*jězdjǫ > jeżdżę (私は乗り物で行く)
などが挙げられます。
5つ目のケースでは、*skj/*zgjがjによる口蓋化で軟子音群š’č’/ž’dž’に変化し、その後硬子音群šč/ždž(ポーランド語の正書法ではszcz/żdż)に変化しました。例としては、
*piskjǫ > piszczę (私はぴいぴい言う)
*mězgjǫ > miażdżę (私は砕く)
などが挙げられます。
ここでもやはり口蓋化でまず軟子音になり、16世紀までに非口蓋化によって硬子音に変化しているため機能的軟子音ということになっています。
cz
czはdżと有声・無声のペアをなしていますが、ここでは分けて説明します。
czの元になったのは
1. スラヴ祖語の*k
2. スラヴ祖語の*kj
3. スラヴ祖語の*stj
4. スラヴ祖語の*skj
1つ目のケースでは、元々あった*kが第一次口蓋化によって軟子音č’に変化し、その後č(ポーランド語の正書法ではcz)となりました。例としては、
*mǫkiti > męczyć (疲れさせる)
などが挙げられます。これは前舌母音(ここではi)が後にくることによって第一次口蓋化の条件が満たされ*kが口蓋化している例です。
2つ目のケースでは、*kjがjによる口蓋化によって軟子音č’に変化し、その後č(ポーランド語の正書法ではcz)となりました。例としては、
*plakjǫ > płaczę (私は泣く)
などが挙げられます。
3つ目のケースは、*stjのjによる口蓋化です。これはもうsz/żの項で解説しましたね。
4つ目のケースは、*skjのjによる口蓋化です。これももうsz/żの項で解説しました。
dż
dżの元になったのは
1. スラヴ祖語の*zdj
2. スラヴ祖語の*zgj
です。
1つ目のケースは*zdjのjによる口蓋化、2つ目のケースは*zgjのjによる口蓋化です。どちらもsz/żの項で解説しましたね。
なおdżは外来語の表記にもよく使われています。
rz
rzはżと同じ音を表しますが、最初から同じ音だったわけではなく元は全くの別物でした。rzの起源はずばり軟子音のr(r’)です。
ポーランド語では12世紀ごろr’に摩擦音の要素が加わり始め、15世紀にはrとżが合わさったようなržという発音になっていました。例えばチェコ語はこの段階で止まっており、発音難と評判のřを持っています。
ポーランド語ではさらに変化が進み、17世紀までにrの要素が完全に消えてżと同じ音に変化しました。これが現代ポーランド語でrzとżが同じ音である理由です。
rzの例はたくさんありますが、挙げるなら
*reka(r’eka) > rzeka (川)
*věriti(věr’it’i) > wierzyć (信じる)
などです。前舌子音(例ではeとi)の前のrが軟子音r’となり、結果的に現在のrzに変化しました。
l
lは現在硬子音ですが、これはスラヴ祖語の*lの軟子音バリアント(*l’)を引き継いだものです。一方硬子音バリアント(*l)は現在ポーランド語でłになっています。
スラヴ諸語で最もメジャーなロシア語と比べてみるとポーランド語のłはл(ラテン文字表記でl)に、lはль(ラテン文字表記でl’)に対応していますが、その理由はこれです。
lの例としては
*lěsъ(l’ěsъ) > las (森) ※ロシア語ではлес(l’es)
*solь(sol’ь) > sól (塩) ※ロシア語ではсоль(sol’)
などが挙げられます。*ěと*ьは前舌母音なのでこれらの*lは軟子音バリアントというわけです。
łの例も一応紹介しておきましょう。
*volъ > wół(牛) ※ロシア語ではвол(vol)
*golsъ > głos(声) ※ロシア語ではголос(golos)
おわり
これで機能的軟子音8つの説明が終わりました。歴史音韻論の範囲なので少し難しい話だったかもしれません。しかし重要なのは、「機能的軟子音は現在の発音では硬子音だが、昔は軟子音だったので語形変化が硬子音の時と違う」ということです。
教科書だけを見ると謎の用語にしか思えない用語ですが、この記事を通して少しでも理解を深めていただけたならいいなと思います。