私は1年間ポーランドに留学してポーランド語を学びました。この留学を自己評価するなら、間違いなく100点満点です。なぜ自信を持ってそう言えるのか、私にとっての成功は何か、それについて語っていきます。
目次
留学について
私の大学での専攻分野は英語です。それなのにポーランドに留学することを決めたというのは、一見不思議です。
留学というアイデアが生まれたのは初めてポーランドを訪れた時です。それまでも日本にいながらポーランド語を勉強しポーランド人とコミュニケーションをとっていましたが、一人で現地に乗り込んだ時に「これが自分のフィールドだ」と直感的に思いました。
当時すでにポーランド語は話せたのですが、自分のポーランド語能力やポーランドに関する知識・理解をさらに磨いて将来の人生につなげようと思いました。
私は他の人たちと違う考え方や感性を持っていると自覚しているので、例外的なことをすることに対しては全く抵抗がありませんでした。そうしてポーランド留学を決めたのです。
大学とポーランドの間には何のコネクションもないので、手続きなどは全て自分で片づけました。初めてポーランドに行った時も、初めての海外旅行であるにも関わらず飛行機・宿・交通手段などを全て自分で手配しました。ポーランド語がわかるのだから業者に頼る必要はないという自信があったのです。
私が選んだのはカトヴィツェ・シロンスク大学に設置されているポーランド言語文化学校という語学学校の外国人向けポーランド語コースです。今思えばこの時点で留学が失敗する可能性は十分にあったのですが、思いがけぬ出来事が起こりました。
既にポーランドに到着し、そのポーランド語コースの参加者の集まりに行ってクラス分けテストを受けました。しかし、ここで他の人とあまりにもレベルが違うということで事実上このコースから追い出されたのです。
レベルが違うというのは私のレベルが高いという意味で、私は先生方に呼び出され「このコースに参加する代わりに大学の授業を聴講生として受けながら週二日の夜間ポーランド語コースに通うか、それか大学準備コースに入るか、どちらかにしてみませんか」という提案を受けました。
大学の聴講生というのは、ポーランド人と外国人が共に学ぶ国際ポーランド学学科という学科で好きな授業を選んで参加することです。そして大学準備コースというのは、ポーランドの大学への入学を控えた外国人がポーランド語を学ぶコースです。
大学準備コースは授業料も高く授業のレベルもあまり高くないと聞きました。対して、大学の聴講生になればポーランド語自体を勉強するのではなく、ポーランド語を使って他の何かを勉強できると思ったからです。しかも聴講自体は無料なので夜間のポーランド語コースの授業料さえ払えば良いのです。
一日くらい考えたあと大学の聴講生という選択肢を選び、まずは半年間国際ポーランド学学科でポーランド語やポーランドの文化を学びました。
半年経って、大学の先生方がポーランド語学科でも聴講することを提案してくれました。1学期目の成績を見て、ポーランド語学科に行ってもなんとかやれるだろうと判断されたのです。
そうして2学期目は国際ポーランド学学科とポーランド語学科から好きな授業を選んで時間割を組んで提出するところから始まりました。この時私はポーランド人ばかりが集まるポーランド学科の学生でも苦戦するような言語学系の授業ばかりを選んだので、先生方は大丈夫かなとお互い顔を見合わせていましたが、結果的にはどの授業にもついていけました。
留学が成功したと言える理由
ポーランド語が上達した
当初の目標であるポーランド語の上達はクリアしました。ヨーロッパの基準でB1程度のレベルでポーランドに来たのですが、日本に帰る時にはB2レベルを超えていました。
ただし、ポーランド語自体の運用能力は2学期の初めに付き合い始めたポーランド人の彼女のおかげで上がった気がします。かなり多くの時間を一緒に過ごしたので、その時期から急速にポーランド語が上手くなりました。
1年間での上達度合いを100とすると、大学の貢献度が30、日常生活の貢献度が20、彼女の貢献度が50くらいです。1年間のうち彼女と過ごしたのは後半の6ヶ月だけというのを考慮すると、短期間でものすごい効果が出ています。
ポーランド語に関する専門的な知識がついた
外国人向けのポーランド語コースでは単純にポーランド語の練習をしていましたが、大学、特にポーランド語学科ではポーランド語を研究対象にした言語学をポーランド語で学んでいました。
そのため、ただポーランド語が上達しただけでなく、ポーランド語を専攻しているポーランド人しか持っていないような専門的な知識がつきました。
ポーランド以外の国にあるポーランド語学科や日本の英語学科など、外国語としての言語を専攻する場合、まずは言語を習得しなければいけないので言語学をやる余裕はありません。
しかし、ポーランドのポーランド語学科に行くと、最初から全員がポーランド語を話せます。そのため、1年生から言語学をやるのです。これは私にとって大きなプラスでした。
現在ポーランド語の歴史文法を趣味にしているのも、ポーランド語学科で歴史文法を含む色々な分野に触れられたおかげです。
様々な機会をもらった
私は大学にいる唯一の日本人だったので、色々なことを頼まれました。クラスメイトの母校に呼ばれてポーランド語で日本を紹介するプレゼンをしたのが、聴衆の前でポーランド語を話す初めての経験でした。
さらに、大学がアジアとのつながりを強化している最中だったので、中国センターの発足イベントに伴いポーランド語でのプレゼンや日本語の模擬授業、イベントの企画にラジオ出演を任されました。
2学期の終わりには大学にある中国法律センターによって行われている講座の修了式に特別講師として呼ばれ、ポーランド語で2時間にわたる授業を行いました。
2時間もつような分量の内容を用意するのは大変だったので苦労しましたが、大学教員でもない私がこれだけ長い持ち時間を与えてもらったことは非常にありがたいなと今になって思います。
私はこういう経験を通して人前で話すことにも慣れましたし、外国語で仕事をすることへの抵抗がなくなりました。
自分の殻を破ることができた
一番大事だと思うのがこれです。異文化に触れてその中で生きることによって、考え方を変えることができました。
今までの私は自分に自信がなく、消極的で、他人の評価を恐れ、自分の意見を言わず、いつも他人に合わせ、他人を疑い、些細なことで悩む人間でした。
しかし、そんな自分がポーランドの文化とぶつかり、さらに私の価値を認めてくれる人たちに出会えたおかげで、それを変えることができました。一番の恩人は彼女です。
これはポーランドだけの話ではありません。日本に帰ってきた今でも、以前より劇的に生きやすくなったことを日々実感しています。
こういった変化についてはもっと詳しく書きたいので、他の記事で取り上げたいと思います。