ポーランド各都市訪問記: Lędziny(レンジヌィ) ポーランドの田舎

訪問場所: Lędziny (レンジヌィ) ※「レンジニ」と書かれることもあります。
訪問時期: 2018/6/30

ポーランド人の友達に誘われてポーランド南部の田舎町に行ってきた時の記録です。

Lędzinyについて

このブログで私がかなり気合を入れているシリーズである「ポーランド各都市訪問記」では、36ものポーランドの街や町や村を紹介しています(またポーランドに行くことになれば増えるかもしれません)。その中にはマイナーにもほどがある、というレベルの場所がいくつかあります。この記事はその中の一つです。

Lędzinyはカトヴィツェを県都とするWojewództwo śląskie(シロンスク県)に位置する町で、人口はわずか約17000人(2016年)です。

カトヴィツェの周辺都市の一つという位置づけですが、ナチスの強制収容所として有名なアウシュヴィッツがあるOświęcim(オシフィェンチム)までは10km余りしかありません。カトヴィツェからオシフィェンチムまで電車で行くとLędziny周辺を通ります。

また、Lędzinyとカトヴィツェの間にはMysłowice(ムィスウォヴィツェ)という町があります。ムィスウォヴィツェと同じくカトヴィツェの隣町であるTychy(ティヒ)ともLędzinyは境を接しています。

ムィスウォヴィツェとティヒの訪問記もあるのでぜひお読みください。

ポーランド各都市訪問記: Mysłowice(ムィスウォヴィツェ) シロンスクの町・カトヴィツェ発の小旅行

ポーランド各都市訪問記: Tychy(ティヒ) 広大な公園・カトヴィツェ発の小旅行

Lędzinyを訪れた理由

Lędzinyははっきり言えば「何もない町」です。観光客も来ませんし、外国人がやってくることも非常に珍しいです。

そんな町に私が行ったのは、私の留学先の大学の学生である友達がここに住んでいて遊びに行くことになったからです。

私はカトヴィツェとその周辺都市の公共交通機関が乗り放題になる定期券を持っていたので、交通費0円でLędzinyまで行くことができました。しかしカトヴィツェの中心部からの直行便はなく、カトヴィツェの外れであるKatowice Zawodzieまたはムィスウォヴィツェで乗り換えなければいけません。私はまず学生寮からカトヴィツェの中心部まで行く必要があったので、結果的に2回乗り換えたということになります。

私はKatowice Zawodzie Pętlaで乗り換えました。カトヴィツェの中心広場からトラムで10分くらいです。この写真はLędziny行きの時刻表ですが、バスの本数は少ないです。

これはバス停Katowice Zawodzie Pętlaの景色。6月の最終日でしたが、驚くほど寒かったです。

Lędzinyまではバスで30分以上。退屈はしませんでした。カトヴィツェからティヒに行った時の方が長くバスに乗っていたような気がします。友達はLędzinyのとあるバス停からバスに乗ってきました。これから町の中心部に行くということです。

散策

そしてバスを降りましたが、中心部と言っても何もありません。町の情報をインターネットで調べてみると人口も村というほど少なくはなく地区もいくつかあるのでそんなに田舎ではないように思えるのですが、実際は道路の両脇に人が住んでいるだけというレベルの町だと言われました。恐らく人口密度が低いのでしょう。

これがポーランドの田舎の風景です。私はこういう場所に来るのが大好きなので嬉しかったです。

私たちは丘の上にある教会を目指しました。

道端の花たち。

道の先に教会が見えます。

寒い日だった上にこの時間は雨も降ったり止んだりしていたので高いところに来るといっそう寒さがきつくなりました。

これがその教会。Kościół św. Klemensa(聖クレメンス教会)です。

空は方向によっては晴れていました。

丘の上からの景色。遠くに見えるのはズリ山で、炭鉱で栄えたシロンスク地方ならではの景色です。なおLędzinyにはHołdunów(ホウドゥヌフ)という地区がありますが、この友達によるとズリ山という言葉から名前がとられているとのことです。

この記事を書きながらこの単語について調べたものの何も情報が見つかりませんでしたが、住民が言うからにはそうなのでしょう。

※追記: 標準語にhałdaという単語があり、これは「廃物の山」を意味します。ここシロンスク地方の方言ではaがよくoに変わるので、方言ではhołdaになるのかなと思いました。それならHołdunówがズリ山を意味していても不思議ではありませんね。

丘の上は気持ちよく、ちょうど天気も回復してきたのでここでゆっくりしました。

何の変哲もない教会ですが、ポーランド国民のほとんどがカトリック教徒なのでどの町にも教会が必要です。

葬儀屋さんの広告が二つ並んでいました。

丘を降りていきます。

この辺りは村っぽい風景です。

ここから町の本当の中心部に向かいます。

標識。Zamoście(ザモシチェ)という表示がありますが、日本で発売されたポーランドのガイドブックにも載っているあのZamość(ザモシチ)ではありません。ところで語源学的にZamościeはza most-em(橋向こう)から来ていると思うのですが、Zamośćはどうなのでしょう。

これも教会です。Kościół św. Anny(聖アンナ教会)。

このあたりが実質中央広場だそうです。花が植えられています。

ここはおしゃれです。

カフェがあるようです。

この場所はかなり気に入りました。

これはPowstania śląskie(シレジア蜂起)の犠牲者に捧げられた記念碑。

ここにあるバス停の名前はPomnik(記念碑)。そのままです。ここからバスに乗って隣町のBieruńへ行きました。Bieruńの訪問記はこちらです。↓

ポーランド各都市訪問記: Bieruń(ビェルン) ポーランドの田舎

友達の家族

Bieruńで昼食をとったり散歩したり、カフェでくつろいだりした後、友達のお兄さんが車で迎えに来てくれてLędzinyに戻り、友達のお家にお邪魔しました。

ちなみにお兄さんは日本のマンガやアニメが好きで、日本語を勉強したことがあるほどの日本ファン。一方で友達本人は専攻が英語・副専攻が韓国語で、アジアに興味はあるものの特別日本が好きなわけではありません。

ご両親が感じ良く迎えてくれました。お母さんはお茶やお菓子を出してくれ、私がお父さんのコレクションであるレコードに興味を示すとお父さんは6年間使っていなかったアナログプレーヤーをわざわざ直して聴かせてくれました。

コレクションには70年代のプログレッシブロックのレコードが多く、Genesisの”Foxtrot”という私の好きなアルバムをアナログで聴くことができました。私はそれまでレコードを聴く機会がなかったので感動しました。コレクションの中にはYesの”Tales from Topographic Oceans”の日本盤までありました。これらのレコードはお父さんが20代の時に集めたものだそうです。

さらに、お母さんがCD棚からこんなものを出してきてプレゼントにと私にくれました。シロンスク地方の管楽オーケストラの演奏が収録されたCDで、お母さんの出身地である隣町ムィスウォヴィツェ・Wesoła地区で作られたものです。

お家でゆっくりしたり、お兄さんの部屋でキーボードを演奏させてもらったり、いつも友達から写真として送られてくるインコたちと対面したりとくつろいだ後、再び散歩に出かけました。しかし、この後私の携帯のSDカードに問題が発生して写真が読み取れなくなってしまったため、悲しいことに撮った写真は残っていません。30枚はあったはずなので残念です。

散歩したのは家の周りで、団地を横切った時に住民が私に気付いて中国語の真似をしました。これは“Czing czang czong”というもので、特に意味はありませんが中国語っぽく聞こえるということで軽蔑の意味合いで使われます。彼らはアジア人の国籍を見分けることができないので私のような日本人にも”Czing czang czong”と言ってきます。

こうしてアジア人を笑うのはポーランドでも社会的に問題になるような層だけですし、そもそも私は中国人ではないので「お、やっぱりczing czang czongきた!絶対言うと思ったわ~」としか思いませんでした。みなさんもポーランドでこういう差別行為に出くわした場合は気にしないのが一番です。

私は最初こういう行為によってダメージを受けていましたが、ポーランド人の友人たちは皆「まともなポーランド人にとってはああいう人たちこそ国の恥なんだから気にしちゃだめだよ」と言ってくれるので気にしないようになりました。

家に戻ると軽い食事を出してくれました。さらに、バスの本数が少ないということでお母さんが車でKosztowyというムィスウォヴィツェの一地区にあるバス停まで送ってくれて、そのおかげでバス一本でカトヴィツェの中心部に戻ることができました。寒くなっていたのでパーカーまで持たせてくれました(後日友達に返しました)。最初からお邪魔する予定はなかったので突然の訪問でしたが、ここまで暖かくもてなしてくれたことに感謝です。

Kosztowyのどのバス停から乗ったかは覚えていませんが、40分程度でカトヴィツェの中心部にあるバス停Aleja Korfantegoに到着し、さらにその近くにあるバス停(Mickiewicza)から学生寮に帰りました。

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