[ポーランド留学]大学の授業4: 1918年以降のポーランド文学

ポーランド留学中に大学で受けた授業の紹介です。今回はLiteratura polska po 1918 r.という科目です。

授業の構成・講師

これは国際ポーランド学学科の学士課程一年生向けの授業です。私が受けたのは講義だと思います。

先生はポーランド文学専門の人で、30代くらいの女性でした。はきはきとした喋り方の人です。

また、この授業は留学生も受けていました。セルビアのベオグラード大学ポーランド語学科から来た二人組と、ロシアのどこかの大学から来た一人と、ロシアのカリーニングラード大学から来た一人と、マケドニアから来た二人組がいました。

外国語を勉強するときに最後に読めるようになるのは文学だと思いますが、この授業はポーランド語ネイティブでなくてもついていけるという設定のようです。もちろん読む文章のレベルは高かったです。

授業の内容

ポーランド文学の授業は1918年以前と1918年以降のものに分かれていて、こちらは1918年以降です。

最初に理論を勉強しましたが、この授業で主に扱われたのはdwudziestolecie międzywojenne(戦間期の20年)と呼ばれる時期です。1918年の第一次世界大戦終戦から1939年の第二次世界大戦勃発までの期間がおよそ20年なので、このような名前がついています。

これは1918年に第一次世界大戦が終わってポーランドが独立を回復し、将来に対する期待が膨らんだ時期から始まります。

それを象徴するのがJulian Tuwim(ユリアン・トゥヴィム)という詩人の作品“Kwiaty Polskie”で、この授業はこの詩集から始まりました。大胆で非道徳的な表現が多くありましたが、それほど当時のポーランドは盛り上がっていたということです。私たちは”Wiosna”をはじめ、この詩集の中の詩を非常に細かいところまで解釈しました。

TuwimはSkamanderというグループの出身で、私はワルシャワに行った時に彼らが詩を朗読して稼いでいたカフェがあった場所を訪れました。新世界通りにあります。

この後に取り上げられたのはMaria Pawlikowska-Jasnorzewska(マリア・パヴリコフスカ・ヤスノジェフスカ)という詩人です。この人は短い詩を得意としていて、自然と人間の感情を関連させながら上手に描きました。Tuwimの詩はあまり気に入らなかったのですが、この人の詩は良いなと思いました。しかし、後にスタイルを変えていったようです。扱ったのは“Niebieskie Migdały”という詩集だったと思います。

次はJulian Przyboś(ユリアン・プシボシ)という詩人です。awangarda krakowska(クラクフのアヴァンギャルド)という派閥の例として出てきました。この人は建築や街をテーマにした詩を書く人で、作品が無機質で好きじゃないなと思いました。仕方ないですね。

この授業は全体的に詩が中心でした。今では詩を読む人がほとんどいないと思いますが、私は詩が好きなので嬉しかったです。

次に取り上げたのは日本でも翻訳が出ているWitold Gombrowicz(ヴィトルド・ゴンブローヴィチと日本語で表記されます)という作家の短編“Zbrodnia z premedytacją”です。

“Bakakaj”という短編集に収録されている作品で、短編集は「バカカイ」として日本語に訳され出版されています。この版での”Zbrodnia z premedytacją”は「計画犯罪」というタイトルになっているようですが、日本語では読んでいません。

ゴンブローヴィチの作品では、他にも「フェルディドゥルケ」、「トランス=アトランティック」、「コスモス」、「ポルノグラフィア」、「ブルグント公女イヴォナ」が邦訳で出版されています。

この短編は、学校時代の友人というだけで特別なつながりもない知り合いのIgnacyを何十年かぶりに訪ねた主人公Hが、彼の訪問の直前に自然死したIgnacyの死因をIgnacyの息子Antoniによる殺人であるというようにでっちあげるというストーリーです。

Ignacyの家族に冷たく迎えられたというだけで、こういう形で復讐することに決めたH。Ignacyの家族や召使達全員の心理を手玉にとりながら、ありもしない殺人をAntoniが実行したと家族だけでなく本人にまで思い込ませていくHの手口は生々しく恐ろしいです。この作品では登場人物の分析をし、様々な心理的効果について話し合いました。

その次に出てきたのはJózef Czechowicz(ユゼフ・チェホヴィチ)という詩人です。彼はawangarda lubelska(ルブリンのアヴァンギャルド)というグループの出身で、近づく第二次世界大戦と呼応した終末論的な重い作風が特徴です。

また、彼の少年時代の経験に起因する自らの死のビジョンも作品に反映されています。結局彼は1939年のルブリン空爆の犠牲者となって亡くなりました。

彼の作品は暗くて気が滅入るようなものばかりですが、ここでは詩の中に散りばめられたシンボルを読み解いていきました。特に新約聖書に収録されているヨハネの黙示録に関わるシンボルが多かったです。“Ballada z tamtej strony”という詩集を中心に学びました。

宿題として詩が一つ割り当てられ、それを自分で解釈してこなければならなかったのですが、自分の語学力の不足によりわからない表現については彼女が助けてくれました。彼女はポーランド語のネイティブであるだけでなく、文学の解釈が得意なのです。

最後に扱ったのはノーベル賞詩人のCzesław Miłosz(チェスワフ・ミウォシュ)です。日本では詩集が出版されている他、これまた日本語に翻訳されている「ポーランド文学史」という本の著者として有名です。

彼はCzechowiczのawangarda lubelskaとともにdruga awangarda(第二のアヴァンギャルド)に数えられるawangarda wileńska(ヴィリニュスのアヴァンギャルド)の出身です。第二のアヴァンギャルドというのは、クラクフのアヴァンギャルドに対してつけられた名称です。

それから亡命し、後にアメリカ国籍を獲得しました。2004年まで生きていた人です。

この人の詩を読み、特に“Ocelenie”という詩集に収録された有名な詩“Piosenka o końcu świata”をじっくり読みました。チェホヴィチと同じように終末観を反映させているのですが、こちらは「世界の終わりは皆が想像するような恐ろしい光景とは無縁で、平和なうちに起こる」という独特の描き方をしています。

以上が、この授業で扱われた人たちです。様々なジャンルから選ばれていて、非常に良かったなと思います。

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