ポーランド語歴史文法: nieboがw niebiosachになる理由

ポーランド語にはnieboという単語があります。これは「空」または「天国」を表します。

しかしこの単語は特殊で、宗教的な文脈などでは複数形の活用が異なり、特にw niebiosachと複数形前置格で使われることがよくあります。w niebiosachだけでなく、あまり使われませんがw niebiesiechも可です。

このような形はどこから来ているのかを説明します。

単語nieboの標準的曲用

単数主格  niebo
単数生格  nieba
単数与格  niebu
単数対格  niebo
単数造格  niebem
単数前置格 niebie
単数呼格  niebo

複数主格  nieba
複数生格  nieb
複数与格  niebom
複数対格  nieba
複数造格  niebami
複数前置格 niebach
複数呼格  nieba

以上の通りです。niebiosach, niebiesiechという形はどこにもありません。ではこれらの形はどこからきたのでしょうか。

スラヴ祖語

いつものことですがスラヴ祖語を見てみましょう。

スラヴ祖語には5種類の曲用パターンがありました。現代ポーランド語の中性名詞のほとんどは第1曲用に属していましたが、nieboは第5曲用に属していました。

第5曲用は特殊なパターンで、第1から第4までの曲用パターンが母音語幹型であるのに対し第5曲用は子音語幹型です。

説明を加えましょう。現代ポーランド語の名詞は2つの構成要素から成り立っていますが、スラヴ祖語の名詞は3つの構成要素から成り立っていました。

現代ポーランド語
(語幹)+(語尾)

スラヴ祖語
(語幹)+(語幹)+(語尾)

この(語幹)+(語幹)+(語尾)という構成はスラヴ祖語の先祖であるインド=ヨーロッパ祖語の名残です。一つ目の語幹は語の意味に関わり、二つ目の語幹は語形変化に関わっていました。なおスラヴ祖語でもこの二つ目の語幹はすでに一つ目の語幹に埋没してしまい目に見えなくなっています。

第1から第4曲用では二つ目の語幹が母音、第5曲用では子音だったというのが相違点です。

スラヴ祖語の第5曲用では曲用に際して語幹の拡張という現象が起こります。拡張語幹は-en-, -ęt-, -es-, -er-, -ъv-と5種類ありますが、現代ポーランド語で容易に確認できるのは-ęt-のみです。

それは-ęで終わる中性名詞で、kocię(子猫)の複数形がkociętaになるのは語幹が拡張されているからです。わかりやすくなるように部分ごとに分けて表記すると、

koć-ę  (語幹-語尾)
koć-ęt-a  (語幹-拡張語幹-語尾)

となります。

なお、ロシア語を学習したことのある方は-er-を見たことがあるはずです。
мать, そしてдочьという単語がこれにあたります。

それぞれの単数での変化を見てみましょう。

мать (mat’)

主格  мать (mat’)
生格  матери (mat’eri)
与格  матери (mat’eri)
対格  мать (mat’)
造格  матерью (mat’er’ju)
前置格 матери (mat’eri)

дочь (doč)

主格  дочь (doč)
生格  дочери (dočeri)
与格  дочери (dočeri)
対格  дочь (doč)
造格  дочерью (dočer’ju)
前置格 дочери (dočeri)

主格と対格以外で現れる-ер-(-er-)がそれです。

なおポーランド語の「母」にはmatkaの他にmacierzという単語があります。このrzという部分が-er-の名残を残しています。これから派生したmacierzyńskiという単語も同様です。

名詞nieboのスラヴ祖語形*neboは-es-型に属していて、曲用の際に語幹*nebの後に拡張語幹-es-が入ってきます。現代ポーランド語におけるnieboの基本曲用ではこの特性が失われ、第1曲用に属していた他の中性名詞と同じ曲用パターンになっています。

ここからはタイトルにしたw niebiosachと同じ複数前置格形を例に説明しましょう。

再構と音韻変化

niebiosachもniebiesiechも再構すると

*neb-es-ьxъ

となります。

niebiesiechの方が現在使用頻度は低いですが歴史的に見ると規則的な発展を遂げているので、まずこちらの形の音韻変化を追っていきます。

*nebesьxъ > n’eb’es’ex
(11世紀、母音イェル、つまりьとъが消滅または母音化する。ъは語末なので弱いイェルとして消滅し、ьは弱いイェルの前の音節を作っているので強いイェルとして母音化し’eとなる) ※nとbも後に来るeによってわずかに軟音化されるので記号’で示しておきます。

n’eb’es’ex > ńeb’eśex
(12-13世紀、ポーランド語における口蓋化で子音がさらに柔らかくなる)

これで現在の形niebiesiechの完成です。

ではniebiosachはどうでしょうか。

*nebesьxъ > n’eb’esaxъ > n’eb’osaxъ > n’eb’osax > ńeb’osax

正直いつ起こったことなのかはわかりませんが、元来の語尾-ьxъの代わりに第3活用の女性名詞の複数前置格語尾であった-axъが適用されることになりました。

現代ポーランド語では一部例外を除きどの性でも複数前置格語尾が-achになっていますが、これは元々女性名詞用だったこの語尾が他の性にも広がったためで、同じ現象がここでも起こっています。

10世紀に起こった音韻変化にprzegłos polskiというものがあります。ポーランド語で軟子音の後にeがあり、なおかつeの後がt, d, s, z, n, r, łのどれかだとeがoになるというものです。

二つ目の形から三つ目の形への移行を確認してください。軟子音b’の後にeがあり、eの後がs(sが軟子音だと条件が満たされませんが、この場合sの後が後舌母音aなのでsは硬子音であり条件が満たされています。ここがniebiesiechのケースと違うところです)なのでeがoに変化しています。

11世紀には先ほどと同じように語末のイェルが消滅し、12-13世紀にはポーランド語における口蓋化でnがさらに柔らかくなって今の形に至ります。

まとめ

現代語における例外は古い形の名残、というのは言語によくあることです。みなさんも言語を学習していて例外を見かけたら、面倒くさいと思うだけでなく「これは古い形なのかな?どうしてこうなっているんだろう」と好奇心を持って接してみてください。そうすると言語学習がより楽しくなるはずです。

コメントを残す